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本田美奈子.さん逝く 本日告別式 [アイドル]

本田美奈子さんに関してはそんなに思い入れは強い方ではないのですが、少女隊と同じ事務所だった事もあり、個人的には最後のボンドガールというイメージでした。テレビのインタビューで、鼻の穴が小さすぎて指でほじれないので綿棒を使って掃除しているというコメントが、顔の小ささを表すエピソードとして記憶に残っています。

ビデオ発掘しました。

 

それにしても、夏目雅子、渡辺謙、吉井怜と白血病になる芸能人が多いような気がしてなりません。

過酷なスケジュールがいけないのか職業病では?という変な考えが頭をよぎります。(あくまでも個人的な意見ですよ)

アイドルを見事に脱皮し、本物のアーティスト、女優としてまさにこれからピークを迎えようとするこれからだったのに残念で仕方ありません。

ご冥福をお祈りいたします。


我が青春の少女隊 Ver.2 [アイドル]

いくつかのリクエストがあり、新たに素材を発掘しましたのでVer.2としてリリースします。

livedoorブログをビデオ素材置き場にしていたのですが、解約した為に現在一部のビデオが閲覧できなくなっています。

数多の星の数ほど誕生しては消えていく命短しアイドル達。
今回は個人的に思い入れの深い、少女隊の事について書いてみたいと思います。
少女隊1
少女隊がデビューしたのは1984年8月28日。
当時どのような世情だったかというと
「かい人21面相」によるグリコ・森永事件。
新札発行などがあり、ロスオリンピックが開催。
Apple Macintosh発売 、映画「風の谷のナウシカ」公開 、「ドラゴンボール」連載開始 。

当時のヒット曲
わらべ「もしも明日が…。」、安全地帯 「ワインレッドの心」、松田聖子 「Rock'n Rouge」、
チェッカーズ「涙のリクエスト 」、中森明菜「十戒」 といった強豪アイドル達が群雄割拠する中、少女隊は
  ミホ(藍田美豊)***********レイコ(安原麗子)*********チーコ(市川三恵子)
藍田美豊安原麗子市川三恵子






 

少女TYPOON

の三人組で総額30億~40億円という当時では破格な金額をかけ、映画、プローモーションビデオ、原宿にアパレルの「少女隊ショップ」をオープンさせるなどのメディアミックスの先駆けとして誕生しました。
デビュー曲はアルバム少女PHOON」。

シングル「FOREVER」、Forever
テレビによる露出は行わない「少女隊PHOON」という、ビデオ媒体でのみの露出というアイドルとしては従来の方法とは全く異なるデビューでした。

 

 

レコード店の店頭で少女隊のプロモーションビデオを観た私は、松田聖子の言葉を借りるならば、「ビビビっと」衝撃が走り、アルバムを購入してしまったのです。ESCAPE

少女隊アドベンチャーというPVに収録されていたESCAPEの一場面です。

アメリカの荒野の中でどこまでも続くアスファルトの中を

少女隊の三人が闊歩します。

    KAMIKAZE66 PV動画     ダンステリアの忘れ物 PV動画

KAMIKAZE66ダンステリアの忘れ物

 

 


 

少女隊2デビューアルバムのプロディーサーにピンクレディを手がけた都倉俊一氏を迎え、ロスアンジェルスのスタジオでアメリカの一流ミュージシャンを使っての録音と、既存のアイドルとは一線を画した少女隊でしたが、今ひとつ盛り上がりに欠け、テレビ出演やアパレル店閉鎖といった方向に当初のプロモーションを大幅に変更せざるを得ませんでした。

一転してテレビでの露出路線に切り替わるやいなや、
中村敦夫の「地球発22時」に出演したのは良かったのですが、「俺たちひょうきん族」のひょうきんベストテンに準レギュラーとも言える頻度で出演したのにはあまりの落差に辟易してしまいました。
CMの出演も一心同体少女隊のフレーズを使ったものや、お菓子の
マリンバ、美容品メーカーのウエラ等があります。

 

この後TBSラジオでレギュラー番組として「進め少女隊」がスタート。

リクエストがありましたので当時のカセットを発掘しMP3にしました。

進め少女隊音声

素直になってダーリン85年に「素直になってダーリン」がカゴメ「ufufu」のCMに起用され、(「ufufu」他ver1他ver2他ver3)フジテレビの夕方枠へ投入されました。そのころの番組は「うる星やつら」の再放送枠と始まったばかりの「夕やけニャンニャン」でアイドル世代へアピールを目論むも、「おニャン子クラブ」の台頭により起死回生にはなりませんでした。ムーブメントは純粋なアイドルよりも素人アイドルのほうへと傾いていたのです。
少女隊が所属していた事務所はボンド企画で松本伊代が先輩で、本田美奈子や新田恵理が所属していました。
スーパージョッキーに松本伊代と少女隊が出演していた時に、「ボンドは伊代ちゃんで儲けた金を少女隊使ってしまった。」みたいなことをビートたけしに言われていました。

セカンドアルバムの「少女隊フラミンゴIsland」、

サードアルバムの「少女隊アドベンチャーIsland」がリリース。

少女隊アドベンチャー当時私が使っていたシャープ製の縦型レコードプレーヤーは、赤外線で針を自動で開始位置に落とす機能が付いていましたが、この2枚のアルバムはピンクとブルーのスケルトン素材のレコード盤で、手動で位置合わせを毎回行わなければなりませんでした。

グラビアンサマー PV 動画
グラビアンサマーこの曲で「♪Short joy time逃がさないで~♪」という歌詞があるのですがShort joy timeを少女隊と発音しているところが大好きでした。


 

 

 



渚のダンスパーティBye-Byeガールその後、85年6月「

渚のダンスパーティー」、秋元康氏を迎えた85年8月に「Bye-Byeガール」とスマッシュヒットを飛ばし、ベストテン歌手の仲間入りをしました。

 

 

85年にTBSの「夏体験物語」というドラマにも出演。中山美穂や吉幾三らと競演し話題となりました。確かオープニングのクレジットでは中山美穂よりも先でしたが主題歌は「C」で、中山美穂に持って行かれてしまい、少女隊最大ヒットの「Bye-Byeガール」は、挿入歌扱いでした。

ハレーロマンスこの年オリジナルメンバーだったチーコ(市川三恵子)が椎間板ヘルニアにより脱退、代わりに初代引田天功の娘、
トモ(引田智子)が電撃加入し、85年11月に「ハレーロマンス」をリリース。
私はレイコ(安原麗子)のファンだったのですがチーコ(市川三恵子)の脱退には少なからずショックを受けてしまいました。。
かわいさでは今ひとつのチーコ(市川三恵子)ではありましたが、元気で伸びのある歌唱力は少女隊随一であり、少女隊の曲の半分は彼女で声で支えられていたと個人的に思っていたのです。

 

もっとチャールストンバランスシート86年3月「もっとチャールストン」、86年10月にバランスシート」、をリリース。
その後、新たなるファン層を獲得したかったのだろうと思われる洋楽のカバー「君の瞳に恋してる」や、「ナポレオンのくしゃみ」、「SAKASAMA」等、紆余曲折の路線変更が原因かヒット曲にもなかなか恵まれず、緩やかに失速していきました。

どちらかというと。「FRIDAY LOVESONG」など、アルバムの曲やカップリング曲に名作が多いのも少女隊の特徴かもしれません。
デビュー以来ファンだった私は、奇しくもロスオリンピックのデビューから4年たった88年ソウルオリンピックのイメージソングを歌った88年5月「Korea」を最後に少女隊から離れてしまった。
根強いファンとアジア地域での絶大な人気に支えられた少女隊でしたが89年「ANNIVERSARY」で解散した。

時は流れ...
99年にアニメ「
十兵衛ちゃん~ラブリー眼帯の秘密~」のエンディング・テーマ「Forever」が起用され「1999少女隊」としてレイコ(安原麗子)、チーコ(市川三恵子)、トモ(引田智子)で再結成された。(ミホは育児のため参加せず)
しかし、個人的にはミホ(藍田美豊)の復活を願いたい。
チーコ(市川三恵子)が欠けてしまったあの日、少女隊は少女隊では無くなってしまったのです。
今一度、オリジナルメンバー+
トモ(引田智子)で少女隊の復活を夢見てやまないのでした。

「Bye-Byeガール」の頃に、東京飯田橋の駅ビルで握手会がありご多分に漏れず朝早くから並びレイコと握手したことや代々木体育館で行われた少女隊の「Are you ready?」ライブに行ったことも懐かしい思い出です。
この文章は個人的な思いこみや思い入れが多分に入っていますので事実と異なる場合がありますがご了承ください。


懐かしアイドル 「風見慎吾 」 [アイドル]

深夜帯のショッピング番組の司会としてすっかりおなじみになった風見しんご氏ですが、その昔は芸能界一のブレイクダンサーとして名を馳せていました。
(昔は風見慎吾という芸名でした。)
当時、ダンスがうまいと定評のあった田原俊彦がベストテンかなにかの歌番組で「ブレイクダンスを練習中」とのコメントをしていましたが、風見慎吾が「涙のTake a Chance」でブレイクダンスを披露するやいなや、俊ちゃんの口からブレイクダンスという言葉を聞くことは二度とありませんでした。(私の記憶による)
また、1987年には風見慎吾主演、鳥居かほりヒロインの映画「泣き虫チャチャ」が封切られており、華麗なダンスシーンが見所となっています。
週末ともなれば「サタデーナイトフィーバ」よろしく、行きつけのディスコで得意のダンスを披露しダンスキングとしての一面を持つという内容です。
この曲は「涙のTake a Chance」の次の曲で「BEAT ON PANIC」。
夕やけニャンニャンからの動画ですが、CM入りのジングルがチェッカーズの「あの娘にスキャンダル」なので、夕やけニャンニャンの初期昭和60年4月~5月頃だと思います。
動画風見慎吾   

懐かしアイドル 「坂上とし恵」 [アイドル]

昨日に引き続き、懐かしアイドルネタで行きます。
日高のり子と同じサンデーズに所属していた坂上とし恵ですが、
私の中ではサンデーズというよりも
やはり鶴光のオールナイトニッポンの崖っぷちトリオが思い出されます。
動画
坂上とし恵
昔はホントにアイドルしてますが、
現在の鬼嫁っぷりは鬼気迫る物があります。
野々村真氏のお小遣いには同姓として哀れみを感じてしまいますが、東京青山の一等地にビルを購入したとか...


そう言った意味では坂上とし恵は倹約家のすてきな奥様なのかもしれません。

懐かしアイドル 「日高のり子」 [アイドル]

エヴァンゲリオンの「庵野監督」が告ってふられたことがあると噂される。
タッチの南ちゃん役の人気声優「日高のり子」ですが、
その昔はアイドルしていたことをご記憶の方はいらっしゃるのでしょうか?
動画
日高のり子
NHKレッゴーヤングの
昭和56年度サンデーズに所属し、
「もう一度ブラックコーヒー」で
デビューするのですが、

その後は泣かず飛ずで、翌57年には堀江社長で一悶着あった
ニッポン放送の土曜日深夜の鶴光のオールナイトニッポンの
アシスタントとしてB級アイドル化していきます。
番組の中で坂上とし恵、浜田朱里らと崖っぷちトリオなどと命名され
鶴光師匠にいじられつつもしゃべりの技術を会得したのか、
アニメタッチの南ちゃん役でブレイク。
その後はらんま1/2の天道あかねや、はりもぐハーリーのハーリー、トップをねらえ!GunBusterのタカヤノリコ、となりのトトロのサツキ役など有名アニメの主役級を歴任し、見事声優アイドルとしての地位を確立したのでありました。


ピンクレデメモリアルコンサートVol.3 [アイドル]

70年代スーパーアイドルの代名詞「ピンクレディ」。
ちょうど今年がデビュー30周年で1981年03月31日の
解散後も絶大なる人気を誇る伝説のアイドルデュオです。
私が小学生の高学年のとき人気絶頂で、
同年代の方なら誰もがテレビを観ながら振りまねをし、
踊った記憶があるのではないでしょうか?
昨日、5/26に東京国際フォーラムで行われた
ピンクレデメモリアルコンサートVol.3へ行ってきました。
開演前にプロジェクターで楽屋の様子が流れていました。
開演前
写真はケイちゃんの楽屋です。
ケイちゃんはアフロのカツラをかぶり
ノリノリでミーちゃんの楽屋へ乱入したりして
和んだ雰囲気でした。
ミーちゃんはストレッチをやったり、
栄養ドリンクを何本も飲んでスタンバっています。

そして開演...........
ピンクレディツアーチラシ結論から先に言うと感動モノ!!すごく良かったです。
まさにエンターテイメント。
歌われた曲は8~9割方誰もが知っているもので、一緒になって歌って踊れる一体感のあるコンサートでした。
二階席の最前列だったので立つことを禁止されていたのですが、周りの観客もノリノリのお構いなしで立ち上がってしまうと、二階席全体が本当に立て揺れしていました。

 
 
 
曲順は歌うのに気を取られ、はっきりと覚えておらず、
英語の曲で知らないのもありましたので間違っていても
勘弁して欲しいのですが、「サウスポー」、「ウォンテッド」で始まり、ウォンテッド
「I want to give you my everything」 、「Strangers when we kiss」、米ビルボード誌で日本人では坂本九の「スキヤキ」の1位に次ぐ63位にチャートされた(宇多田ヒカルは初登場160位)「kiss in the dark」と英語の曲が続き、「カルメン'77」、「SOS 」で盛り上がります。
 
 
私は「透明人間」、「カメレオンアーミー」、「モンスター」の
モンスターシリーズ辺りで感極まりまり逝ってしまいました。
「世界英雄史」、 「Do Your Best」、「ジパング 」、
「Show me the way to love 」、「ミラノ・ローズ 」、
「OH! 」、「マンデー・モナリザ・クラブ 」、
「渚のシンドバット 」、「波乗りパイレーツ 」、「ピンク・タイフーン 」。
「Do Your Best」と「渚のシンドバット」ではミーちゃん、ケイちゃん直接指導の元、振り付けを会場全体で練習とファン心をくすぐってくれます。
ピンクレディdvdチラシ今日は30周年記念のdvdの撮影も行われるので
カメラが数台入っており、
コスプレ状態のファン達も撮影されていましたね。

二人のMCが最高で、MCの時は更年期が出てきたとか、毛穴から汗が噴き出た、ケイちゃんの額の血管が浮き出てクモ膜下で死ぬだの近所のおばさんトークになって、呼吸も荒くヘロヘロになっているのですが、歌ってるときには「ピンクレディ」に変身し、呼吸の乱れもなく観せて聴かせてくれます。
しかし、この年齢であれだけの踊りができるというのはまさに驚異的です。

バックダンサーの皆さんのダンスも少年チャンプルに
でてきそうな流行のブレイキングっぽいモノで、
うまかったのですがそれすらも色あせてしまわせる
ピンクレディは何と形容して良いのか分かりません。
最後はもちろんデビュー曲の「ペッパー警部」。
「スーパーモンキー孫悟空」が聞けなかったのは残念でしたが、
アンコールへと続きました。
会場には「アンコール」という文字の電飾パネルを
自作しているグループもあり、ファイナルへ向けて期待が高まります。
ufoそして、アンコールの手拍子が鳴り響く中、頭上からUFOが舞い降りてきて入り口が開くとパーッと光が広がり、二人がでてきてアンコールに応えます。
もちろん、アンコール曲は最大ヒットの「UFO」。
現役の時よりも動きがよく、ビックリしました

そして絶頂の中、アンコール二曲目の「星からきた二人」を
歌い終わると、二人ともまさに宇宙の彼方の星に帰っていき、
メッセージが流れました。
「いつもここにいるよ」と...

80年代アイドル セイントフォー [アイドル]

セイントフォーは当時私がファンだった少女隊と同時期の1984年にデビューしています。
メンバーは鈴木幸恵、岩間沙織、浜田範子、板谷祐三子の四人組。
デビューにかけた金額も40億円と少女隊に匹敵するもので、彼女らがデビューするストーリーを映画化した「ザ・オーディション」と、ふーしぎ、とおきょおシンデーレラ ♪デーレラ♪ デーレラー♪と輪唱するフレーズが印象的だった、シングル「不思議 TOKYO シンデレラ」でデビューした。
当時、橋幸夫が所属していた事務所からデビューしたためか橋幸夫が後見人っぽくいっしょに出演しているのを見た記憶があります。
セイントフォーの曲は振り付けの運動量が激しく、エアロビの様な衣装でバク転や組み体操のようなアクロバティックなものでした。(バク転の着地に失敗する姿も多かった)
セカンドシングルの「太陽を抱きしめろ」の後、急にいなくなった感があり
その後の消息を私は知らない。
太陽を抱きしめろ   たまたま録画した当時の番組にセイントフォーが出ていたため奇跡的?に映像が残っていました。
「太陽を抱きしめろ」よろしければご覧ください。

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